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浜松町駅周辺にある神社

神社運気アップ自然

浜松町駅周辺にある神社

新年を迎え、初詣に行かれた方も、これから行く予定という方もいらっしゃるかと思います。
浜松町駅周辺にある、おすすめの神社3社と蛇塚をご紹介します。
緑豊かで都会だと忘れてしまいそうな穴場なスポットもあります。
2022年が素敵な一年になるようにお参りに行ってみてはいかがでしょうか。

  • 讃岐小白稲荷神社
  • 芝東照宮
  • 愛宕神社
  • 蛇塚

讃岐小白稲荷神社(さぬきこはくいなりじんじゃ)

アクセス:東京都港区浜松町2-9-8
最寄駅:JR山手線/京浜東北線「浜松町駅」北口徒歩2分、都営浅草線/大江戸線「大門駅」徒歩3分

浜松町駅南口からのアクセスはこちら

浜松町駅南口を背にして出発します。

金杉橋・メルパルク東京方面に進みましょう。

世界貿易センター南館の通路を入り、道なりに進みます。

突き当りにエスカレーターがあるので下りましょう。

エスカレーターを降りると通りに出ます。十割蕎麦「嵯峨谷」の左の道を直進しましょう。

信号のない1つ目の交差点のすぐ先、左に讃岐小白稲荷神社があります。

讃岐小白稲荷神社は「讃岐稲荷」と「小白稲荷」の2つの稲荷社を合わせて祀った(まつった)神社です。
そのためそれぞれに鳥居が置かれています。
社殿は1つですが、それぞれに額が掲げられている特徴的な神社です。

左は「讃岐稲荷神社」の扁額が掲げられた鳥居。

右は「小白稲荷神社」の扁額が掲げられた鳥居。

主祭神は、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)という穀物の神様。
ご利益は2つあります。

  • 生成発展(古いものが滅びて新しいものが生まれるということ。進化し続ける。という意味があります。)
  • 火伏せ(火災の害を押さえこむ神様。)

御由緒

境内の説明版には
「当社は、讃岐小白の両稲荷を合祀(ごうし)しています。
御創建は、江戸時代の文政の頃、書上によれば今より約弐百年前になります。
讃岐社は、四国の高松藩の大名である松平氏の下屋敷の邸内社として御鎮座し、明治維新以降に芝新網町に開放されたといわれている。
一方、小白社は、芝湊町(現浜松町二丁目十三番地)古川際辺りに御鎮座しており、昭和十三年の区画整理の為協議の上当社に合わせ祀られた。
御祭神は、倉稲魂神(お稲荷様)で、生成発展の守護神とともに火伏せの火神として古来より崇敬をあつめています。」

讃岐稲荷はもともと讃岐の国(現在の香川県)、高松藩松平家の下屋敷(しもやしき)にあった神社。
小白稲荷はかつて芝湊町(現在の港区浜松町2丁目)の下屋敷にあった神社。
2つの神社は下屋敷内にあったため、身分の低い者は屋敷の中に入れてもらえず、誰もが参拝できる神社ではありませんでした。
合祀されてからは、町内にも開放され一般参拝ができるようになりました。


下屋敷(しもやしき)とは
江戸に設けられた大名屋敷(江戸藩邸)のことです。
本邸である上屋敷は江戸城から最も近い位置にあり、殿様や大名とその家族などが住む屋敷。
対して、下屋敷は江戸城から離れた位置にある屋敷で大名の別荘などに使われていました。

社殿にも讃岐稲荷と小白稲荷のそれぞれの扁額が掲げられています。

こちらの狛犬も特徴的で、ライオンのように見えます。
あなたにはどのように見えますか。

通り沿いにも1体の狛犬がいます。
この狛犬とライオンのような2体の狛犬は同じ奉納者だそうです。

稲荷神社の名の通り境内には神様の使いであるキツネがたくさんおられます。

手水舎の右下には小さな祠(ほこら)があり、その中にも小さなキツネ。

古いキツネの像。

力石があります。

「力石由来記
港区文化財総合目録登載
江戸時代、文化文政年間(十九世紀前半)この辺りは芝新網といわれ幕府公認の網千場となり漁師・職人など町衆が住む地域でありました。
当稲荷神社の祭礼には境内で「かっぽれ踊り」「浪花節」などの庶民芸能が繰り広げられ、
また力自慢のつわものが集い、町人衆目の中で盛んにこの石を担いで互いに力を競い合ったものです。
老若男女の声援が聞こえてくるようです。
当時の娯楽の一端が偲ばれ、後世にこの事柄を伝承してまいりたいと存じます。
平成十六年五月大祭
讃岐小白稲荷神社」

江戸時代、稲荷神社の祭礼の際に漁師や職人の力自慢が集まり、神社境内でこの力石を担ぎ腕力を競い合ったそうです。

この神社は昭和20年(1945年)東京大空襲によって社殿が焼失。
昭和40年(1965年)に現在の社殿が再建されました。
現在は「芝大神宮」の兼務社となり、普段は無人です。
御朱印は本務社「芝大神宮」にて書き置きを頂けます。

芝東照宮

アクセス:東京都港区芝公園4-8-10
最寄駅:JR山手線/京浜東北線「浜松町駅」北口から徒歩12分、都営浅草線/大江戸線「大門駅」A3出口から徒歩8分
ホームページ:http://www.shibatoshogu.com/

浜松町駅北口からのアクセスはこちら

浜松町北口を背にして出発します。

目の前の歩道を、左に進みます。

大きな交差点「大門」交差点を直進しましょう。

赤い鳥居のある「芝大門」交差点も直進します。

突き当りに増上寺のある三差路を直進し、左に進みましょう。

少し歩くと、右に芝公園が広がります。

芝公園の端、右に芝東照宮があります。

港区芝公園に鎮座する芝東照宮。
全国には数多くの東照宮があります。
なかでも芝東照宮は、栃木県「日光東照宮」、東京都「上野東照宮」、静岡県「久能山東照宮」とならび四大東照宮のひとつとされています。
正式名称は「東照宮」ですが、他の東照宮と区別するために鎮座名をつけて「芝東照宮」と呼ばれています。 

御祭神は徳川家康公。
ご利益は公表されてはいません。

芝東照宮の近くにある増上寺は、徳川家の菩提寺として定めれられたお寺です。
徳川家康公は慶長6年(1601年)に還暦を迎えた記念として自身の寿像(じゅぞう)を作らせました。
寿像とは、その人が生存中に作っておく、等身大の肖像彫刻のことです。

江戸時代初期に家康公が亡くなり、増上寺の境内に社殿を建造して、自身の寿像を祀るように遺言を残したのが芝東照宮の始まりです。
ところが明治時代初期に神仏分離(しんぶつぶんり)が行われました。
神仏分離とは、神仏習合(しんぶつしゅうごう:神道と仏教を融合した信仰体系のこと)の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること。
増上寺では、徳川家康公を「東照宮大権現(とうしょうだいごんげん)」と呼び、神様として崇めていたので、切り離さなければならなくなります。
そこで神社の「芝東照宮」に寿像を祀りしました。

日比谷通りに面したところに「東照宮」の石碑があります。

左右には狛犬が2体。筋肉?が隆々としています。

「天明八戌申年(1788年)正月吉祥日」の刻印があります。
戦前、もしくは明治時代以前に奉納されたのでしょうか。
とても古い狛犬です。

駐車場の先に鳥居があります。

こちらの扁額は平成12年(2000年)に改修されたものです。
「16代様」と呼ばれていた徳川宗家第16代当主、徳川家達(いえさと)氏の名が記されています。

ひとつ目の階段を登ると、右手に存在感のある御神木の大イチョウがあります。

このイチョウの木は寛永18年(1641年)3代将軍徳川家光公が植えたとされています。
東京大空襲から戦火を免れ現在に至ります。
昭和31年(1931年)東京都の文化財保護条例に基づき「天然記念物」に指定し直されています。

説明板には

「東京都指定天然記念物、芝東照宮のイチョウ
所在地:港区芝公園四丁目八番一号
指定:昭和三十一年八月二十一日
芝東照宮は、以前は増上寺安国殿と呼ばれ、「江戸名所図会」にもその姿が見られる。
明治の神仏分離によって増上寺から切り離され、東照宮となった。
このイチョウは、寛永十八年(一六四一)安国殿の再建に際し、三代将軍徳川家光が植えたものと伝えられている。
昭和五年(一九三○)に史蹟名勝天然記念物保存法に基づいて国の天然記念物第二類(地方的なもの)として指定されたが、昭和二十七年に文化財保護法が改正された時、国指定は一旦解除され、その後昭和三十一年に東京都の文化財保護条例に基づき指定し直され現在に至っている。
平成五年(一九九三)の調査では、高さ約二十一.五メートル、目通り幹囲約六.五メートル、根元の周囲が約八.三目メートルある。
平成十四年三月二十九日
東京都教育委員会」

こちらの手水舎の水盤は少し変わった形をしています。

現在は新型コロナウイルスの影響で水が止められていますが、本来は上の竹から水が流れます。
水盤いっぱいに溜まった水が下に流れ落ちるようになっています。

ふたつ目の階段を上ると本殿があります。

旧国宝に指定された旧社殿は昭和20年(1945年)の東京大空襲によって焼失。
現在の社殿は昭和44年(1969年)に再建されたものです。

東照宮といえば、日光東照宮を思い浮かべる方も多いと思います。
家光は各地の東照宮を絢爛豪華に造営と改築をしています。
社殿を絢爛豪華に変えたのは、自分の祖父である家康をより神格化させ徳川将軍家の威光を示すための一環だったと思われてます。

本殿の横には「葵の井戸」と呼ばれる井戸が残っています。

東京大空襲により、境内のほとんどが焼失しましたが、当時の宮司さんが寿像を井戸の中に入れて戦争から守ったという逸話が残っています。
それがこちらの葵の井戸でしょう。
そして寿像は1963年に東京都の「重要文化財」に指定されています。
寿像は通常非公開ですが、年に一度、家康の命日である4月17日のみ御開帳されるようです。

愛宕神社

アクセス:東京都港区愛宕1-5-3
最寄駅:JR山手線/京浜東北線「浜松町駅」北口徒歩20分、都営浅草線/大江戸線「大門駅」A3出口徒歩17分
ホームページ:https://www.atago-jinja.com/

浜松町駅北口からのアクセスはこちら

浜松町駅北口を出て、JR線高架下の横断歩道を渡り、左に進みます。

大きな交差点「大門」交差点を直進しましょう。

赤い鳥居のある「芝大門」交差点も直進します。

突き当りに増上寺のある三差路を直進し、右に進みましょう。

しばらく進むと、左に芝公園があります。

すぐ先の「御成門」交差点の横断歩道を直進し、左に進みましょう。

陸橋を渡る階段があるので登ります。

上まで来たら、右に進みましょう。

左右に階段があるので、右の階段を下りましょう。

そのまま直進します。

「愛宕神社前」交差点を直進すると、左に愛宕神社があります。

主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)
ご利益は火に関するもの、防火、防災、印刷・コンピュータ関係、商売繁昌、恋愛、結婚、縁結び

都心とは思えないほど緑に溢れた静寂な空間が広がっており、心を落ち着けるにはぴったりの場所です。
愛宕神社は、東京都23区内で自然の地形として最も高い山とされ、標高26メートルの愛宕山の山頂にあります。
江戸時代には、山頂から東京湾や房総半島までを見渡すことができる、見晴らしの良い人気スポットだったそうです。

愛宕神社は徳川家ゆかりの神社で「出世の石段」と呼ばれる86段の急な石段があります。

歩いてのぼり降りをするのですら大変な石段です。
その昔3代将軍、徳川家光公が愛宕山に満開に咲いている梅の花を取ってくるように命じました。
家臣たちは誰も動こうとしませんでしたが、曲垣平九郎(まがきへいくろう)という人物が馬に乗ってこの石段を駆け上がり、梅を家光公に献上。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられています。
このことにちなんで、出世の石段と名付けられました。
上ると仕事・出世運のご利益があると言われています。

出世の階段の右、狛犬の後ろには女坂と呼ばれる緩やかな階段もあります。

曲垣平九郎が徳川家光公に献上したのが、こちらの梅の枝だそうです。

曲垣平九郎の顔はめパネルがありました。

愛宕神社の歴史
慶長8年(1603年)江戸に幕府を開く徳川家康公の命により防火の神様として祀られました。
その後、江戸大火災や関東大震災により焼失しましたが、明治10年(1877年)9月~昭和33年(1958年)に再建され、現在に至ります。

春は桜、夏は涼と蝉時雨、秋は月と紅葉、冬は雪景色と四季折々の表情で楽しませてくれます。
都心の中にあるオアシス的な存在として人々の安らぎの場となっています。

出世の石段を登りきると、一の鳥居が迎えてくれます。

二の鳥居の奥に本殿があります。

本殿の手前には「招き石」。たくさんの参拝者に撫でられたので、つるつるとしています。


毎年6月末に「千日詣り」が行われます。
この日は社殿前に茅の輪(ちのわ)が飾られ、その茅の輪をくぐりお参りすると1000日分のご利益を得られるそうです。
また同時に「ほおづき縁日」という催しも行われます。
愛宕神社に自生していたほおづきを煎じて飲むと、子供の癇の虫や婦人病に効果があるとされ人気がでて、ほおづき市が始まったと言われています。
ほおづきを受けた方は、特別に社殿内でお祓いをしてもらえます。

江戸城無血開城会談の地として知られている愛宕神社。
江戸時代末期、慶応3年(1867年)に行われた大政奉還によって幕府は消滅しました。
しかし、幕府がなくなっても徳川家がなくなることはないと考えていた徳川慶喜公。
新政府は小御所会議という会議で徳川家に対して辞官納地(官位をやめて土地を返す)ことを新政府から命令されますが、慶喜公はこれを認められません。
その後、鳥羽伏見の戦いで、薩長に負けた徳川軍は江戸城に逃げます。
新政府は慶喜公を潰すべく江戸に侵攻する計画を立てます。
そして、江戸の町と江戸の人々をの命を守りたいと願った幕府代表の勝海舟は、新政府代表の西郷隆盛との会見が実現。
勝海舟は愛宕山山頂から江戸の町を指さして、争いによって火災を起こすことのむなしさを訴えると、西郷隆盛が共感し江戸侵略を中止しました。
この愛宕山で行われた勝海舟と西郷隆盛の会見のおかげで、江戸を戦火から守り、慶喜公も処刑を免れ、だれひとり犠牲にならない穏やかな和平が実現したといわれています。

こちらも顔はめパネルがあります。

社務所には愛宕オールスターズと呼ばれている猫と犬がいて「会えるとラッキー」らしいです。
愛宕神社で飼われているようで、この日はラムネの空き箱に入って、日向ぼっこをしていました。

昔から日本人は猫と生活してきた歴史があります。
猫は穀物を食い荒らすネズミを駆除してくれる倉庫番として重宝されるようになります。
そして、人間の近くにいると食べ物にありつけ、安全で暮らしやすい環境が手に入り、お互い関係を深めていったのではないでしょうか。
幸運を運んでくれる猫に会いに行ってみてもいいですね。

芝公園もみじ谷にある蛇塚

アクセス:東京都港区芝公園4-3-25
最寄駅:JR山手線/京浜東北線「浜松町駅」北口徒歩13分、都営浅草線/大江戸線「大門駅」A3出口徒歩10分

浜松町駅北口からのアクセスはこちら

浜松町駅北口を出て、JR線高架下の横断歩道を渡り、左に進みます。

大きな交差点「大門」交差点を直進しましょう。

赤い鳥居のある「芝大門」交差点も直進します。

突き当りに増上寺のある三差路を直進し、右に進みましょう。

左に芝公園三丁目3番「芝御成道散歩」と刻まれた石碑を左に進みます。

道なりに進むと東京タワー下に出ます。横断歩道を右に渡りましょう。

「東京タワー前」交差点を東京タワー方面に渡り、直進した少し先、左にもみじ谷があります。

こちらは神社ではありませんが、東京タワー下には、芝公園19号地のもみじ谷に蛇塚があります。
マスコミで紹介され、金運と仕事運が上がることで有名になりました。

名前の通り、この蛇塚は蛇に由来しています。
一番上に位置する大きいお地蔵様の後ろにとぐろを巻いた白い蛇の像が祀られています。

蛇塚の説はいくつかあり、由来となる説は大きく分けると以下の3つです。

  • 秋田から上京した新宿の居酒屋を営む女将さんが蛇の夢を見るようになってから、自分の飲食店が繁盛し始め、ある夜には蛇を祀るように夢でのお告げがあった。
  • 夢で蛇を見るのはもちろんのこと、家の中で蛇を見たりするたびに、商売がどんどん繁盛し、自宅の箪笥から蛇の抜け殻が見つかり、これは自分の守り神だと確信して、感謝の念を形にしたいと思い蛇塚を建てた。
  • 店に迷い込んできた蛇を発見し、その蛇をもみじ谷に放してあげたところ、店が急に繁盛し始めた。

など、いくつかの説が金運と仕事運がアップする蛇塚伝説としてマスコミで取り上げられ、有名になっていったようです。

もみじ谷を入ると、すぐ右に階段があるので下り、小さな橋の方に行きます。

小さな橋を渡り、左の階段上部にお地蔵さんが祀られています。

一番上のお地蔵さんの後ろに、とぐろを巻いた白い蛇が祀られています。こちらが蛇塚です。

「お参りすると金運が上がる」「卵やお酒をお供えして、願い事をすると出世する」と評判が広がりましたが、
今はカラスやハチが寄ってくるので、お供えは禁止になっていますがお供えをした後に持ち帰れば大丈夫です。

筆者も何度かこの蛇塚を訪れたところ、参拝後にちょっとしたいいことが起こりました。
信じるか信じないかはあなた次第です。

最後に

いかがでしたか。
参拝の時に忘れてはいけない事は、「感謝の気持ちを伝えること」です。
無事に来れたこと、幸せに過ごせたことなどへのお礼の気持ちを伝えてから、神様にお願いごとをするのが良いとされています。

ご自身や身近にいる人の開運を願って、足を運んでみてはいかかでしょうか。

港区で事務所・店舗をお探しの方はプレニーズにお任せください。
2021年12月プレニーズ浜松町店は本社へ統合いたしました。

(2022年1月11日時点の情報です。内容は変わることがありますので予めご了承ください。)